大阪府I市で

自選登録ヘルパーが毎日10時間に

 

 

 大阪府のI市では、昨年度(95年度)に転入してきたMさん(全身性障害・一人暮らし)と介護者が、市と交渉して、たった10ヶ月で、自選登録のヘルパー制度を毎日10時間にしました。(月295時間なので、正確には1日10時間より少し少ない)。この制度には、もちろん、ホームヘルプ事業の国の補助金がつきます。

 

 

制度はガイドヘルパーから始まった

 この制度の位置づけは、当初、自選登録のガイドヘルパー制度だったものを、交渉の経過とともに、家の中での介護内容も対象になるように制度を変えていったものです。今では、ガイドヘルパー制度ではなく、『自立生活のための介護費用』という名目で(制度名は明確に決まっていない)制度が実施されているそうです。

 今では、外出先でも、家の中でも、制度が使えるため、いわゆる自選登録ヘルパー制度ということになると思います。

 

(ガイドヘルパー制度は、ホームヘルプ事業の中の制度であるため、この様なことができる。なお、一人暮らしの場合は、費用負担額が、ガイドヘルプも、ホームヘルプも、本人所得で算定するので、事務上の混乱は起こらない。市が厚生省に送る補助金の算定基礎の派遣時間数は、ガイドヘルパーも、ホームヘルパーも、1つにまとめられて、ホームヘルプの補助金として扱われる)。

 

 

 I市での、詳しい経過を送っていただいたので、次ページから掲載します。

 

(当記事では市の名前などは仮名にしますが、交渉を行う方のみにお売りする「交渉のやり方ガイドブック2」では原文を掲載します)

 

 

介護保障関係の財政について(大阪府I市)

 

自立ネットワークなんでも 1996.10月現在

M氏の場合

 M氏の場合1日に介護が必要な時間は24時間だ。

1ヶ月あたりの介護時間は744時間になる【31日の月】

 

@昼間の介護保障

 1日8時間・・・31日×8時間+2時間=250時間

A入浴介護保障

 月15回で、1回2時間・・・15日×2時間=30時間

B介護者の交通費

 月15時間、1日あたり30分・・・30日×0.5時間=15時間

@+A+B=295時間が、『自立生活のための介護費用』という名目で(制度名は決まっていない)おりている。

 

夜間(泊まり)介護保障

『生活保護における他人介護加算・特別基準(厚生大臣承認)』から、月額166,400円おりている分を、日割りして(166,400÷31日)で、1回5,000円、積み立てている。

 

1ヶ月の介護料集計

昼間、入浴・・・・・1時間1,470円×295時間=433,650円

夜間(泊まり介護)・・・・・1回5,000円×31日=155,000円

 

介護料の支払い方

 申請等の事務処理は、毎日介護者が、M氏立ち会いで、申請書を記入し、月末に簡単な確認作業を行った後、M氏が翌月はじめに市役所に提出している。

夜間の分については、翌月はじめ頃に、M氏より、介護者に手渡し支給される。この分の計算等の事務処理は、M氏が月末頃に介護者と処理するようになっている。

 尚、M氏の場合、介護者をほぼ専従化しており、週ごとのローテーションを決めているため、たまに休みが出たところだけ埋める必要があるだけなので、M氏自身がコーディネートはやっている。比較的簡単にコーディネート処理ができるので、やはり専従体制が望ましいといえる。またそのためには、十分な介護者の身分保障が必要。

 事務処理についても、毎日活動記録簿を書くようにしているので、月末には点検と、提出だけで終わる。従って、それらに特別、人材や人件費を必要としないのため、市からの介護料は1円も削ることなく介護者に支払われているので、またそれが専従者を見つけるときにも役立っている。従って、これらのシステムは簡略化した方がメリットは多いと思われる。

 

 

M氏の茨木での自立生活の経過をまとめておく。

 1993年1月に生活施設を脱出して以来、約6ヶ月の、「ジプシー生活」経て、東大阪で2年9ヶ月、介護者集めとの「バトル」で作り上げたネットワークなどがきっかけになり、1995年10月26日に、I市にやってきた。

 

1995年

10月30日:I市役所を最初に訪れる。茨木の制度を聞きにと、生活保護の申請。男性ホームヘルパーと、ガイドヘルパーを毎日認めるよう要求。市の回答(以降 市):I市には男性ホームヘルパーはいないし雇う計画もない。月〜金まで毎日派遣は可能。ガイドヘルパーは、必要に応じて柔軟に認める。

 

11月:ガイド127時間使って申請。

市:そんなに多くは認めない。

これを受けその場で窓口交渉をする。

 

3日後:

市:介護者の通勤時間と、入浴介護時間込みで、150時間以内になる。→I市のガイドは、介護者の自宅から始まって、介護者の自宅に戻るまでカウントされていた。

ホームヘルパーを夕方にも派遣するよう要求する。

市:勤務形態上無理(〜17時まで)

この回答がきっかけで、自薦ホームヘルパー要求が出てきて、今の専従体制のきっかけになった。

 

1996年

その後、2月までに、ガイドヘルパーを、【特例】として250時間まで使えるようになった。

(注:I市に引っ越してから交渉4ヶ月で、月250時間の制度を達成)

 

3月〜:実際の利用時間が400時間ほどになったが250時間以上の分はカットされるようになった。

 

7月までに、5から6回ほど市役所に出向き、障害福祉課の、係長、課長、部長と、窓口交渉をしたり、要望書を市長宛に提出したり実際の介護に必要な時間数や、介護料、I市の負担額、最後には妥協案の検討まで試算した。(これを実際市側より早くに計算し、交渉の時のデータにした)

 

5月:突然!茨城市議会議員Y氏がこの窓口の話を聞き、「自分が正式な交渉の場をSETするから力になりたい」と申し出てくれる。基本的に団体、政党にはこだわらない方針だったが、逆にどこだろうと、関わっていけるという強みもあるので、この場は力を借りることにした。

 

6月7日:Y議員SETのもとに、第1回目の正式な交渉を持つ。Y議員も内部事情をよく知った立場から障害福祉課に強く押してくれた。

 

7月14日:2回目の交渉、M氏、介護者1名、Y議員、7月に配属になったばかりの福祉部長で行った。

 

8月1日(M氏の誕生日):3回目の交渉。ガイドの上限が265時間になる。また、今後24時間介護が必要な自立生活者に対し、M氏と同様な介護保障をすることを市が約束。

 

8月5日(著者の誕生日):Y議員よりFAXで、後日+30時間UP(295時間)になったという知らせが入る。

こうして現在の介護時間数になった。

 

(I市に引っ越ししてから10ヶ月で月295時間の制度を達成)

経過は以上ですが、交渉のテクニックとしてのポイントは

○こちらが行政の予算等のデータ、厚生省の通達文(ホームヘルパー等についての)、ガイドヘルパー時間給の内訳(国:半分・府:1/4・市:1/4)、等を調べ、理論的に交渉し、長時間座り込みや大勢で糾弾するよりも効果的で建設的な協議ができたこと。

 

○理念として、人間として当然の平等なあたり前の権利として保障せよと言う一貫した姿勢を貫くことが行政用語でごまかせないようにできること。(よく行政側が、今迄なかった制度だからとか、他とのバランスとか云うが、元々制度がなかった時代がおかしかったわけで、バランス…というのも、お金の配分をさそうという考えで、こっちは権利を平等にせよと云っているのであるから、答えとして明らかになっていない)

○団体等にこだわらず、また、少数でも窓口でも交渉に持ち込めたこと。

 

今後の問題点

 

夜間(泊まり)介護の時間の介護料が、人を集めるのにも、労働条件的にも不十分。(実質16時間/5,000円は、時給312.5円!)

ガイドの時間が250時間を超えると切られる。(1日15時間とか外出してたら何時間かただ働きになる。)

他の市がこれに続いていない。(あんまり1市だけ浮いているとまた逆戻りの可能性もある。)

茨木で未だ一人しか当事者がいない。(でも今4人ほど希望者がいる)

等々…。(・・・・その後、98年現在5人が登録ヘルパー制度として正式に認められた制度を利用中)

 

I市障害者ガイドヘルパー制度の内訳(平成8年度)

厚生省の基準:  1,430円/時間

I市 1,470円/時間

   国負担:    715円/時間

   府負担:  357.5円/時間

 I市負担:  357.5円/時間+40円(I市におまけ?)/時間

【I市役所の資料室にて調べ】

 

                        文責:岡武(M氏介護)

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